風流サバイバー


by ADPowers
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

ぼくらの中の「彼ら」(2004/09/26放映「新選組!」)

個を表現しないという技法において、見るものに強烈に「個」を意識させる。
2004/09/26放映のNHK大河ドラマ「新選組!」はそんな構成だった。

まず、「ある隊士の切腹」というタイトルからは、意図的に個を埋没させようとする匂いが感じられる。
「ある隊士」というからには一般的な、いままで話題にのぼったこともないないような、悪い言い方をすれば時間稼ぎエピソード用の捨てキャラの話ではないかと想像できるからだ。

しかし、切腹したのは勘定方・河合耆三郎。
いかにも小市民的な外見とひょうきんな台詞回しで、ともすれば重苦しくなりがちな「新選組!」というドラマ全体の空気を浄化するような役どころである。
この河合の切腹をしてなぜ「ある隊士」とするのか、その意味は小さなエピソードの集大成としてラストシーンを盛り上げるために必要不可欠だからであった。

河合は副長助勤の武田観柳斎に請われ、50両の大金を隊に内密で用立てる。むろん観柳斎からの返却を待つまでもなく、自腹で補填する目算があってのことだった。さほど仲がよさそうにも見えなかった観柳斎のために、河合がなぜそんな大金を出す気になったのかは不明だが、武勇に優れた隊士たちの中で、勘定方と軍学指南という、地味な役職についたもの同士、なにか相容れるところがあったのかもしれない。

だが補填の予定日より前に、出納帳と実残金との差異が露見し、副長・土方歳三に問い詰められた河合はつい大見得を切ってしまう。
「金は誰に用立てたかは言えません。しかし5日のうちに実家から送金させます。届かなかった場合には腹を切ります。私も新選組の隊士です。入隊したときからそのくらいの覚悟はできています」と。

ウソである。
最初のうち、「わたしは勘定方だから」といって剣術の稽古にも尻込みしていた男なのだから。
もしかすると自分の才を認め、見出してくれた山南敬介の美しい切腹に感銘を受けていたのかもしれない。
少なくともこのときの河合は「観柳斎を庇っている男気のある自分」、「切腹も辞さないという侍らしい言動」に酔っている。

この台詞に、土方がちょっと引いた。
今まで追い詰めて腹を切らせた人間とはわけがちがう。ここで河合が腹を切ったところで新選組にはいいことはひとつもない。脅せば河合が観柳斎に金を用立てたことを白状すると踏んだだけだ。しかたなしに土方は、河合が5日と切った期限を10日と延ばして待つことにした。

飛脚の到着を待ちつづける河合。
結局、観柳斎に金を用立てたことを告白する河合。
金が届く夢を見て、現で落ち込む河合。

そして。金は届かなかった。

浅黄色の裃をつけた河合は、切腹直前に西本願寺付きの侍に対し「父にだけはわたしの行為を恥じて欲しくない。わたしを信じて欲しい。だから本当のことを父に伝えてください」と真摯なまなざしで訴える。
感じ入った侍が深くうなずく。
河合もようやく「しかし人間の命などというものは。。。」と諦観の常套句を口にしようとした、その時。

河合の耳に(そして実際我々にも)飛脚の到来を告げる鈴の音が聞こえる。

「いま、飛脚が。。。」

無言でかぶりをふる目前の侍。
河合の諦観は、生への執着と絶望感にもろくも崩れ去る。

そして切腹の刻限。三方を前にしながら、河合は見苦しいまでに飛脚の鈴の音を待ちつづける。

「あと5つ数えるまでまってもらえませんか」
「飛脚の鈴がきこえませんでしたか」

「河合!」

叱るような、諭すような井上源三郎の声に、河合は小刀をつかんで腹に当てた。


通常、この時代の切腹はすでに形骸化していた。
小刀が腹に触った時点で首を落とす。
いたずらに苦痛を長引かせないための慣習であった。

ああだがしかし。ここでも河合はとことんついていない。
いつもなら斎藤一や沖田総司といった腕の立つ隊士がつとめる介錯を、この日に限って谷三十郎がやっている。
手元が狂い、谷は急所を外す。

とっさに飛び出してとどめを刺したのは沖田だった。

河合の助命のため集金活動を行っていた藤堂平助に対し「自分の命を粗末にする人間には力を貸したくない」といっていた沖田。
仲間の死にあまりにも数多く、深く関わりすぎたため安眠を失った斎藤。

これらのエピソードはすべて、この河合の「美しくない死に方」にための伏線として存在が必要だったのだ。
今回の構成には何一つ無駄な部分がない。

河合の切腹を見届け、憔悴しきった井上と土方の耳に、遅すぎた飛脚の鈴の音が聞こえる。
一番飛脚を待っていたのもこの二人なら、今となっては永遠に来ない方がいいと思っていたのも、きっとこの二人だったろう。

三谷はあまりにも小市民だった男の死をもって、遠い憧憬でしかなかった新選組隊士たちを、「ぼくらの目の高さ」まで力ずくで引き下げてきた。
「キャラクターいじり」「あてがきキャスティング」と、とかく保守的な芝居人たちから酷評されがちな脚本家・三谷幸喜の、これこそが真骨頂なのだと断言できる回であった。
三谷のファンでよかったな、と思えるこんな瞬間のために、おれは三谷のファンであり続ける。
[PR]
by ADPowers | 2004-09-27 19:10 | 俺様日記